さえないおっさん、頼まれてもないのに勝手にブルーハーツ愛を語る!全アルバム収録曲の感想。1stアルバム「ザ・ブルーハーツ」(後編)

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 みなさんこんにちは、オケラです。洗い屋という工務店さん向けの掃除屋をしています。さえないおっさんがブルーハーツの全アルバム収録曲の感想をだらだらと語るという、僕自身かなり野心的なシリーズとなりました。こんなの誰か読んでくださるのだろうか?不安を抱えたままではありますが、1stアルバム「ザブルーハーツ」についての愛を語る、後編となります。それではよろしくお願いいたします。

爆弾が落っこちるとき

 僕が幾度となく聞いていたカセットテープのB面の第1曲目となります。CD黎明期の頃の昭和62年当時はアルバムもレコード盤を意識して曲順を組んでいたはずでしょうから、おそらく少年の詩であがり切ったテンションをレコードをひとたびひっくり返すという手間の為に、いったんクールダウンされてしまうことは想定内だったはずです!知らんけど。そしてカセットテープもA面が終わってから少しは早送りしてのB面スタートとなりますから、レコードに近い操作の為、悲しいかな同じように盛り上がったテンションも必ずひと息ついてしまいます。CDではそんなめんどくさい操作はありませんのでらくちんですね。そしてやや平常心に戻ってしまった意識を最終曲リンダリンダに向けて再びドカンとスタートするにふさわしいパワー全開のこのマーシー作詞作曲の歌が爆弾が落っこちるときです。「爆弾が落っこちるときー ウオィ」シャウトがとても効果的に盛り上げてくれています。ブルーハーツはシャウトを本当に効かすのが巧みだと思うのは僕だけでしょうか?

誰ひとり望んではいないのに 誰一人喜んじゃいないのに

爆弾が落っこちるとき 何も言わないってことは

爆弾が落っこちるとき 全てを受け入れることだ

とにかく「言葉」を知らな過ぎた僕にとってブルーハーツの歌には、僕の心を揺さぶり突き刺さる生きた言葉が溢れていました。演奏に乗って活気にあふれた生きた言葉がどんどんと僕の心を満たしてゆくのです。国語の授業や読書でもいい作品とそれなりに出会っているはずなのに、ちっとも心に残らないんですよ。なぜかわかりません、言葉というよりも単語に近い感覚でしょうか。もともと読書好きで同年代のみんなよりもたくさんの本を読んできた方だとは思うのですが、ブルーハーツから受けた気絶しそうな衝撃や夢中になってしまう興奮を感じたことはなかったですね。やはりパンクロックならではのマジックなのでしょうか?中学生の頃、大抵のことは自分が悪くなくってもとりあえず謝っておけば、丸く収まるんならいいやと思ってきた僕が、反射的にやっぱりこれではだめなんだなと考えを変えさせてくれたのでした。爆弾が落っこちるときに何も言わないと

全てを受け入れることだ

僕の自由が殺される

全ての幸福が終わる

天使たちは歌わない

すべての未来が死ぬ時

もう散々ですよね。ヒロトに「全てを受け入れることだー」と叫ばれたら、反射的に「それはいやだ!」と思えた自分が不思議でした。まあ結局その後の人生ニタニタ笑いながら「スンマせーん」と逃げてきましたのでやっていることは変わっていないのですが、僕にとっての本当の爆弾が落っこちるときが来たときには、「NO NO NO」と叫ぶ覚悟はできたのでした。

【公式】ザ・ブルーハーツ「爆弾が落っこちる時」【アルバム『THE BLUE HEARTS』(1987/5/21)収録】THE BLUE HEARTS /Bakudan Ga Okkochirutoki
公式サイトがあるなんてありがたいことです

世界の真ん中

 皆さんは大好きなミュージシャンのアルバムを何度も何度も繰り返し聴いているうちに、曲が終わりに近づいて来ると次の曲のイントロが頭の中に流れてきたりしませんか?僕はブルーハーツのアルバムならその全曲終わるまで流れてきます、笑えるぐらい全自動です。

朝の光が待てなくて 眠れない夜もあった

朝の光が待てなくて 間違ったこともやった

僕が生まれたところが 世界の片隅なのか

誰の上にだって お日様は昇るんだ

川の流れの激しさに 足元が震えている

燃える炎の厳しさに 足元が震えている

僕が今見ているのが 世界の片隅なのか

いくら探したって そんなところはない

うまくいかないとき 死にたい時もある

世界の真ん中で 生きていくためには

生きるということに 命をかけてみたい

歴史が始まる前 人はケダモノだった

 どのアルバムを聴いてもそうなのですが、ヒロトとマーシーの詩才は本当にすごいですよね。この曲はヒロトの作詞・作曲ですが、中学生の頃の自己嫌悪な僕は何度も聴き繰り返すうちに胸がいっぱいになり、知らないうちにさらりと涙が流れてきたものでした。この曲を聴いていると、おっさんになった今でもなぜだか心が透明になる感覚になります。そして待つことのできないほどの「朝の光」に、小学生の頃に親友のMOBU君と朝の校庭でふたりで見た、冬の美しい金剛山の朝焼けを思い出すのです。大阪の泉北・南河内方面にお住いの方なら誰でも見ているなんてことのない素朴な山ですし、特に意識していたわけでもないのですが、僕の心にはお日様の昇る美しい朝の光としてこの光景が焼き付いていたのでしょうか。足元すら見えない闇夜がすこしづつ白みだし、徐々にあたたかな太陽が昇ってゆく様子は、そのまま深い悩みを乗り越えていく自分の姿に重なります。足元が震え死にたくなるような状況は何一つ変わっていなくても、この曲を聴いているうちに誰にも知られたくない自分の弱い全ての部分を見つめる勇気が湧きだし、本来誰にも備わっていたはずの歴史が始まる前の生きることに命をかけていたケダモノたちのような強い生命力が呼び覚まされていくように思うのでした。

裸の王様

 ブルーハーツのファーストアルバムの特徴のひとつに、この駆け出したくなるような大迫力のドラムのリズムがあるのではないでしょうか。若かりし僕は「未来は僕等の手の中」を始め、破壊衝動を解き放つかのようなドラムの音に圧倒される思いがしました。そしてこの「裸の王様」は間奏が多く、間奏でのマーシーのギターもかっこよく河ちゃんのベース音もいつもより聞き取りやすいような、そして梶くんのドラムの見せ場がいつもより多くて、全体的に演奏のかっこよさがとても際立っていた印象の大好きな一曲でした。

裸の王様 何が見えますか?

裸の王様 何を学んだの?

裸の王様 今夜サヨウナラ

何度聴いてもいい歌です、2分ちょっとなので30回聴いても1時間ですよ。何度も何度も聴きました。ヒロトは何度も何度も同じ言葉を繰り返します、マーシーぐらいの詩才があればもっといろんな表現ができたはずでしょうが、しつこいぐらい何度も何度も同じ言葉を繰り返します。マーシーもコーラスで叫んでいます。だからマーシーの一番伝えたい言葉なのかなと若かりし頃の単純な僕はそのように思いました。おっさんになった今は歌全体のバランスを考え、意味のさほどない言葉も混じっていることもありだと思う時もありますが。「今夜僕は叫んでやる 王様は裸じゃないか」それをあおるようなパワー全開の演奏に、「おかしいものはおかしい」と堂々と叫ぶ覚悟がお前にはあるのかないのかと、厳しく問われているように感じたものでした。ですが、それをするとみんなから笑われたり怒られたりするのです。悲しいかな、僕は長い人生の中で肝心な時に「王様は裸じゃないか」と叫ぶことができないことが何度とありました。それでもヒロトに別れを告げられる王様の側の人間なんかには絶対になりたくないと強く思います、思うだけではだめなんですけどね。

ダンスナンバー

 僕がブルーハーツを初めて聴いたのは姉がレンタルCDからダビングしたカセットテープでしたので、歌詞カードという気の利いたものがありませんでした。昭和62~3年といえば、まだまだレンタルCDも充実していない時代でしたし、不届き者に気に入った肝心の曲のページを千切られて無かったり、そもそも歌詞カードが入っていなかったりしたのでした。「歌詞カードなし」と表記してくれているならそれはかなり良心的で、ほとんどの場合はレンタルショップの店員さんに手渡されてからしか確認できないくじ引きのようなものでした。下手をすればCD盤にタイトルだけで曲名が書かれていないものもあって、アルバム名しかわからないなんてこともたびたびでした。それを思うと今はいい時代ですね。そんなわけで超早口曲の「ダンスナンバー」は正確に何を言っているのか、聴き取りにくくわからない部分が多くあり、自分で1stアルバムを購入し歌詞カードを手にするまでは、気になって仕方がありませんでした。「時間はまるで ジェットコースター」のところも「時間はまん丸で」に聞こえていて、何のこっちゃと謎でした。ダンスといっても運動神経のへっぽこの僕が踊れたのは「泉北音頭」ぐらいでしたので、ライブでヒロトが「好きに踊るんじゃー!」といわれてもぴょんぴょん飛ぶしかできず困ったものでした。わずかに1分半の短いマーシーの曲なのですが、その短さとノリの良さでコンサート会場がものすごく盛り上がる、北斗神拳でいうところの百裂拳のような豪快・爽快な一曲です。ケンシロウがこの曲を聴きながら百裂拳を発動したら、調子のいい時だと二百裂拳ぐらいになりそうですね。

いつもより多い目にあたたたしています

ダンスナンバーで踊り続けよう

くだらないことは たくさんあるけど

誰かが決めたステップなんて

関係ないんだ デタラメでいいよ

かっこ悪くたっていいよ そんなこと問題じゃない 

君のことを笑う奴は

とうふにぶつかって死んじまえ

ひとの目ばっかりいっつも気にして

口さきばっかり 何にもしないで

そんなのちっとも 面白くないよ

そんなのとっても たいくつなだけさ

かっこ悪くたっていいよ そんなこと問題じゃない 

君のことを笑う奴は

とうふにぶつかって死んじまえ

時間はまるでジェットコースター

流星みたいに燃え尽きてしまう 

あした世界の終わりが来ても

ダンスナンバーで踊り続けよう

かっこ悪くたっていいよ そんなこと問題じゃない 

君のことを笑う奴は

とうふにぶつかって死んじまえ

 当時の僕は「 とうふにぶつかって死んじまえ 」や「目かんで(噛む)死ね」などの古典的な、あきれた相手に発する愛情のこもった冗談というものを知らなかったので、マーシーのユーモアセンスににっこりしたものでした。「かっこ悪くたっていいよ そんなこと問題じゃない 君のことを笑う奴は 豆腐にぶつかって 死んじまえ」笑えるのになんてかっこいい言葉なんでしょうか?なんでかっこいい言葉なんでしょうか?冗談と悪ふざけは別次元のものですし、不器用と野暮もまた似て非なるものでしょう。ブルーハーツのしびれるようなかっこよさはいったいどこからくるのでしょう?本当に謎めいていてそれがまた魅力なのです。

リンダリンダ

 とうとう来ました、ブルーハーツを語るにおいて最も重要な代表曲、リンダリンダ。僕を含めた当時の多くの青少年に限らず、アーティストやアスリート、はたまた実業家や文筆家にこの曲に衝撃を受け、人生観が大きく変わったと言わしめるブルーハーツそのものと言っても言い過ぎではない名曲中の名曲、リンダリンダ。ラブソングという範疇を超え、誰もが心の奥底に必ず秘めているどんな困難にも打ち勝つことができる力と、他者に対しての分け隔ての無い絶対的な思いやりをドブネズミというもっとも忌み嫌われる生き物の中に見出し、高らかに歌い上げた名曲中の名曲。おっさんになった今、これは洋の東西や歴史を問わず人間が神様や仏様とありがたがった力のことを、それはどこか外にあるのではなくドブネズミの中にもあるんだ、僕たちにもあるんだとの宣言なのかいな思うのです。ところで、もちろん何度聴いたか聴き返したかわからないくらい聴きまくった曲ではありますが、僕はこの曲をねほりはほり語る資格は本当は無いのです、語っていますが。それというのも僕にとって昔も今もドブネズミという生命体は抹殺すべき憎き衛生害獣でしかないんですよ、とほほ。

 高校生の時にアルバイトしていたお好み焼き屋さんで、鉄板の上にうんちをした罪でネズミホイホイに捕獲されていた彼ら。夜勤の時で梅田の商店街の外れや地下街のバックヤードで不意打ちで現れ僕を卒倒させる彼ら。不衛生な側溝を水しぶきをあげながら走り去る獰猛な彼らは、僕にとって全くひとつも美しくはないのです。もちろんドブネズミは誰にも相手にされない、どちらかというと嫌がられる存在の比喩だとは思うのですが、大勢の著名人が絶賛する中であってもどういうわけか僕は距離を置きたくなるのです。はぁ、ため息がでます。

【公式】ザ・ブルーハーツ「リンダ リンダ」【1stシングル(1987/5/1)】THE BLUE HEARTS / Linda Linda

ドブネズミみたいに 美しくなりたい

写真には うつらない 美しさがあるから

もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら

そんな時はどうか愛の意味を知ってください

ドブネズミみたいに誰よりもやさしい

ドブネズミみたいに何よりもあたたかく

もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら

そんな時はどうか愛の意味を知ってください

愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない

決して負けない強い力を僕はひとつだけ持つ

 ギターのみのとても静かな歌い出しから始まります。そして「リンダリンダー」と叫ぶ直前にヒロトの「すーっ」と大きく深呼吸する音が入っているのですが、僕はその瞬間硬直し、息を飲みます。初めの「リンダリンダー」から放たれる全身を吹き飛ばすような爆風と衝撃に耐えるためです。ハイロウズの「十四才」という曲でヒロトがこのように歌っているのですが

一発目の弾丸は眼球に命中 頭蓋骨を飛び越えて僕の胸に

二発目は鼓膜を突き破りやはり僕の胸に

それは僕の心臓ではなく それは僕の心に刺さった

 この感覚なのかいなと、今さらながら思います。青春時代はみんなそれぞれ等身大の悩みに苦しみ失敗し、もがいて来たことでしょう。後悔しない人生なんてありえません、後悔しなかった歴史上の人物はラオウという人ぐらいでしょう。ですが支えてくれる誰かにめぐまれれば、それがたとえ自分ひとりで背負いきれないような重荷だったとしても、きっと乗り越えることができます。それは良き仲間・良き家族・良き大人・良き本・良き漫画かもしれません。そして特に青春時代は良き歌こそがその役割を大きくになってくれるものでしょう、僕にはブルーハーツがありました。姉のおかげでブルーハーツと出会う幸運にめぐまれました。多感な青春時代をブルーハーツと共に過ごし、社会人として何度も行き詰った青年時代もブルーハーツの歌から学んだ力で再び立ち上がることができました。「決して負けない強い力」を僕も持っているのかいなと思うのです。もちろん皆さんにもです。

パンク・ロック

 僕がナンバリング通りに1stアルバムのうだうだ感想文を書いていないことには理由があります。姉が貸してくれて初めて僕がブルーハーツを聴いたカセットテープには「パンク・ロック」も「君のため」も入っていなかったのです。なぜなら姉にとってこの2曲はクサすぎて今後自ら聴く見込みはなかろうと、はじめから削除していたからなのでした。さすが我が姉!実に割り切りが良い。なかなかできないことです。ですので僕は1stアルバムに「パンク・ロック」と「君のため」が収録されていることを知ったのは、2ndアルバムの「ヤング・アンド・プリティ」を購入後で、ずいぶんとたってからになります。「お姉ちゃんなんでやねん、両方とも無茶苦茶ええ曲やんか!」後に僕は不平を漏らしましたが、姉は「AHAHA、ごめんごめん。ちゃんと聴いてなかってん」と笑っておりました。もう僕の中で1stアルバムのイメージが完成した後のことなので、 「パンク・ロック」と「君のため」 はアルバム曲というよりはシングル曲のようにしか思えないのでした。

吐き気がするだろ みんな嫌いだろ

真面目に考えた 真面目に考えた

僕パンクロックが好きだ 

中途半端な気持ちじゃなくて

ほんとに心から好きなんだ 

僕パンクロックが好きだ

友達ができた 話し合える奴

何から話そう 僕の好きなもの

僕パンクロックが好きだ

中途半端な気持ちじゃなくて 

ああ 優しいから好きなんだ

僕パンクロックが好きだ

 親友ができそうな喜びと相手に自分が一番大好きなものを伝えようとする、胸の熱く熱くなる素敵なヒロトの一曲です。全く無防備に無邪気に好きなものを教えようとする行為に、うれしさの大きさが伝わってきて、僕の胸はざわざわします。引用した歌詞の太字に変えた部分の絞り出すような「ああ」の声に、どれほどパンクロックが好きなのかが込められているのか聴き取れるてくると思うのですが、そこにボーカリスト・ヒロトの表現力の奥行きの深さを垣間見ることができるのです。ヴォーカロイド曲も嫌いではない、どちらかというと音楽的素養の豊富な中高年には不人気の「ロキの歌」も大好きで、いつか僕のリスペクト曲「ロキ」を語るなんて記事をおこしたいと思っているのですが、あのすごい技術をもってしても少しの間はこのヒロトの発するような声は作ることができないだろうなと感じます。僕が知らないだけで時間の問題かも知れませんけどね。あらためて声の持つ思いを伝えるすごい力を認めてしまいますね。

君のため

 べったべたのくっさくさのラブソング「君のため」間奏での語りがとどめを刺してくれるマーシーの名曲です。しかも珍しく4分を超えた長さです。クールな姉が削除したのもうなずけますが、僕はもんぜつするほど大好きです。コンサートではいつもこの曲が始まると会場が真っ暗になり、くるくる回るミラーボールがキラキラと輝くという超ださださのお約束の演出がなされておりました。

すがりつく腕が欲しいなら

僕のこの腕でそうしてほしいずっとbaby

ああ君のため僕がしてあげられる 

ことはそれぐらいしか今はできないけれど

頬うずめる肩が欲しいなら

僕のこの肩でそうしてほしいずっとBaby

ああ君のため僕がしてあげられる

ことはそれぐらいしか今はできないけれど

 ぜひともゆっくりじっくり何度も聴き込んでいただきたいものです、随所でヒロトの声の微妙な震わせかたに、相手を思うやさしさの深みを感じられると思います。すごい!この曲を聴いていると中学生の頃の中途半端で終わってしまった学年ナンバーワンの美少女への告白や、高校生の時のアルバイト先の年上のお姉さんへの実らなかった片思いなど、思い出したくもないろくでもない記憶がよみがえります。好きな人がいることはとても素敵なことです、とくに青春時代に経験した恋心は人生を豊かに彩ってくれるでしょう。もしタイムマシンのようなものがあり、若かりし僕にひとつだけ助言することができるとすれば「もじもじ恥ずかしがっていないでアタックしやがれ!このへなちょこ野郎!」と偉そうに説教するでしょう、勉強しろとは言わないですね。おっさんになった今、昔のラブソングはいくらでも楽しく聴けるのに、街で流れている若いミュージシャンの歌うラブソングを聞いても耳障りでやめてくれと思います。不思議です。でもそれは若い頃にしかできないすがすがしい恋愛にぶつかれる今の若い人達しか持っていない若さ対する嫉妬心と、もう若さを失いそんな恋愛をリアルに味わうことのできない正真正銘のおっさんの現在地が、そんな気持ちにさせるのでしょう。もう絶対取り戻すことのかなわない、若さに対するねたみですかね。「君のため」を聴いているとろくでもない思い出と表裏一体の楽しかった思い出が現れてきて、とても複雑な気分ですが、いやな感覚でもありませんね。

 以上、長々とブルーハーツの1stアルバムの感想を述べて参りました。読みやすいと言われる1記事6000字を目安に心掛けておりますが、前編・後編共に8000字越えですわ。長すぎると読みにくくなるので、あんまりよくないそうな。第三弾、「ヤングアンドプリティ」はもう少し短くできるようにチャレンジします、ではでは。

 

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