さえないおっさん、頼まれてもないのに勝手にブルーハーツ愛を語る!全アルバム収録曲の感想2ndアルバム「ヤング アンド プリティ」(後編)

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みなさんこんにちは、オケラです。洗い屋という工務店さん向けの掃除屋をしています。頼まれてもないのに勝手にブルーハーツ愛を語る、第4弾となります。よろしくお願いいたします。

チューインガムをかみながら

 ブルーハーツファンならではだと思うのですが、新譜の時に予備知識なしでその曲がヒロト作なのかマーシー作なのか当てるというお楽しみがあります。たいてい当たるのですが、この曲は外しました。マーシーの曲になります。僕はどちらかというとヒロトは外向きでストレート、マーシーは内向きの変化球。ヒロトは感性的、マーシーは哲学的なイメージがありました。そしてリリース時期を考えるとやはりレコードアルバムであることを前提に曲を組んでいると思われるこのアルバム、サイドBのしょっぱなにふさわしいく、また、「ヤングアンドプリティ」らしい元気いっぱいの憎たらしい曲です。チューインガムをかみながら生意気ガキでいてやる!いいですね、わくわくしてきます。その印象的な歌詞で

セックス下手でもいいだろう

ルックス変でもいいだろう

ヴィックスなめてりゃいいだろう

ソックス穴があいてるよ

という部分があります。中学生当時の僕には刺激的な歌詞ですが、何かとても笑えて大好きなフレーズでした。僕と同年代以上の方ならば、ヴィックスドロップが当時のテレビコマーシャルで頻繁に放映されていたのはよくご存じでしょう。えへん虫という子供の落書きに近い不細工な喉の痛みの象徴を、ドロップの効果でやっつけるCMでした。ヴォーカリストは声のコンディションを保つ為にのど飴をなめていると音楽雑誌か何かで読んだことがあったので、浅田あめでもなく南天のど飴でもなく、ヒロトもマーシーもヴィックスを身近に携帯していたのかもしれないですね。

遠くまで 

 歌詞が本当に素晴らしいんですよ、その通りその通りと心の中でうなずきながら聴いたものでした。あまりにも素晴らしいのでそのまま引用します

押しつけられてる 背負わされている

気付かないうちに 目がくらんでゆく

僕をほどいてくれないか

言葉はいつでも あやふやなもので

僕をつつんだり 投げ捨てたりする

僕をほどいてくれないか

電話のついてる クルマに乗ってる

あなたには僕が 僕が見えますか

僕をほどいてくれないか

うさんくさがられ チェックをいれられ

レッテル貼られて マークをつけられ

僕をほどいてくれないか

遠くまで僕は歩いていきたい

遠くまで僕は歩いていきたい

遠くまで僕は歩いていきたい

そのまま裸足で そのまま裸で

僕をほどいてくれないか

歌詞の印象はファーストアルバムの流れからそのままで変わっていないのに、この特徴的なリズムとヒロトの声も若干エフェクトされているような不思議な演出に、中学生当時の僕はなんじゃこりゃとびっくりうっとりため息をついたものです。新しいスタイルへの挑戦、変化を出し惜しみしないブルーハーツの曲作りの魅力がいっぱいにちりばめられた「ヤングアンドプリティ」は、自我が目覚め、ローティーンとなり青春時代のスタートを切った僕にぴったりのアルバムで、好きなファミコンばっかりではなく何か新しいことを始めなければと思ったものでした。ところで同級生のお兄ちゃんで極道をされている人が、昔、電話の着いている車に乗っていました。光るナンバープレートに33(さんさん)ナンバーのクラウンで、3.6とボディのどこかに表記されていたので3600ccの排気量でしょう。遡ること小学校4年生ごろの僕は学校の帰り道にかっこいいなあ、オトンのハイゼットとえらい違いやなと、うらやましくて中をじろじろと眺めたものです。でも、いつ見ても車内は散らかっていてタイヤもけっこうすり減っていて山も少なくピカピカ感も乏しくいつも路上駐車でしたので、役職的にはまだ下の方だったのかも知れませんね。でも小学生の僕にとって運転席と助手席の間に据えられた自動車電話というアイテムは、ドイツ車でさえ陳腐に感じられる程、圧倒的な光彩を放っていたのでした。

星をください

星が見えますか 星がみえますか

ああ 星が そこから星が見えますか

いくら見上げても 僕には見えません

ああ 星が 今の僕には見えません

願いをかける星さえ見えず そんな気持ちなんです

都会の空に 星をください

雲のすきまに 星をください

海がありますか 海がありますか

ああ 海が あなたの街にはありますか

砂にうずめても かくしきれぬ想い

ああ 海に 大きな声で投げるんだ

深い涙の底に沈んだ そんな気持ちなんです

都会の夜に海をください 広くやさしい海をください

願いをかける星さえ見えず そんな気持ちなんです

都会の空に 星をください とてもきれいな星をください

 初期のブルーハーツは攻撃的な歌詞の中にあたたかなやさしさが込められている曲が多いように思うのですが、この「星をください」はどこを切り取っても心やすらかなぬくもりに満ちています。「願いをかける 星さえ見えず」なんとも悲しく切ない内容なのに、祈りと語りかけているような歌詞がヒロトと二人で気持ちが通じ合っているように思え不思議な心地よさをかもしだします。それとまた不思議なのは曲の全体からは前向きな励ましの言葉などは無いはずなのに、聴き終わった時にはなぜだか少し望みが湧いてくるように感じられるのです。深く悩んだ時、あからさまな励ましの言葉よりも、何も言わずにいてくれるだけのほうがいい時もありますよね。「星をください」は、そんな深い涙の底に沈んだ気持ちをヒロトが半分持って出てくれ、重い気持ちを軽くしてくれるように思えてくるのでした。

レストラン

 これもまた「ヤングアンドプリティ」らしい曲ですよね、「ロクデナシ」と同じく「んちゃんちゃんちゃんちゃ」というリズムと歌詞がコミカルなのですが、実はレストランに行きたがっているのは人ではなく野良犬かなにか何だなと不意を突かれます。もちろん、野良犬のようにみんなから嫌がられているパンクロッカーの比喩ということなのでしょうが、目線を変えれば見えてくる景色も変わります。マイノリティーの視線で見た世の中は、不気味で残酷に「みんなが笑ってる」のでした。

英雄にあこがれて

 おっそろしい歌ですよね、英雄にあこがれて。若者が英雄崇拝からゆがんだ英雄願望へと変わり、自己顕示欲が自身の悪魔的なものを大きく育ててしまい、果てに手首をかき切ってしまうのです。こわー、おっかねー!俺には関係ねー、と中学生当時の僕は思いましたが、おっさんになった今、これは外に向くのか内に向くのかの違いなだけで、誰もが衝動的に犯してしまう可能性は全くゼロでは無いように思います。もし不運が重なり、追い込まれた精神状態の中で悪魔的な妄想が大きく膨らんでしまったら、絶対に正気でいられるという自信は僕にはないですね。ですが、その恐ろしい歌の最後にヒロトの「むっはっはっはっはー」という屈託のない満足気な笑い声が入っています。ですのでそんなにややこしく難しく考えなくてもいいのかも知れませんね。表現がとげとげしいものの、純粋なロックンロールな歌なのでしょう。また、僕の大好きなウィキペディアにライブではこの曲の間奏中にメンバーの紹介がなされると書かれていて、日清パワーステーションの公開放送ライブでも僕の行ったコンサートでもそうだったように思います。メンバー紹介なんて曲目の間のMCの中ででも普通に出来ますので、この曲の間奏でやる特別な意味があるのかも知れないですね。

チェインギャング

 中学生当時の僕が何度も何度も聴いた、マーシーの名曲です。この曲を聴いていた時の僕の心はとても複雑で、きっと深く思い詰めながら、ものすごく無表情な顔をして聴いていただろうなあと思います。成績も悪く運動能力も低くファミコンもへたっぴなうえ家にお金がないので友達に貸してあげられるカセットも無い、劣等感にまみれたとほほな中学生当時の僕が、今ここで何とかしなければこのままではダメ人間になってしまうと必死にブルーハーツを聴いて踏ん張っていた頃です。懐かしくもあり、切なくもあります。この名曲がキリストを殺した者はそんな僕の罪のせいだという歌詞が問題視されたようで、ひとたびアルバムの収録が見送られたそうな。今ならばかばかしいな、誰が何にそんたくしたのかなと思うでしょうが、当時の空気感では中学生の僕でもこの歌詞はまずいんじゃないのかなと直感的に思ったほどです。でも、この曲は完全に懺悔の歌であり、絶望の中からの再スタートの歌なのですから、仮に神やイエスがこの曲を耳にして「俺様を馬鹿にしてやがる、なめとんのか!」とは絶対に言わないでしょう。それだったらジュディアンドマリーのラブリーベイベーの「天にまします神様 二人を許してアーメン」の方がよっぽど不敬ですよ。リア充全開の恋愛女子に勘違いな懺悔をされても「意味わからんわい、このどあほうが!でも少しうらやましいなあ」と僕が神ならばイヤミのひとつでも言ってやるでしょう。とまあここで半ば強引にジュディマリを引っ張ってきたのは、実は「ヤングアンドプリティ」がジュディマリを始めボウイなどの超大物ミュージシャンを手掛けた有名プロデューサーの佐久間さんだったのです。大人になるまで全く知りませんでした。プロデューサーの違いでアルバムが大ヒットするとかしないとか、音楽的な評価が高まるとかそうでないとかは、あまり関係ないそうです。もうお亡くなりになりましたが、いったいどんなアドバイスをしたんでしょうね。僕の大好きなウィキペディアではヒロトは相当嫌がっていたみたいですが、マーシーはその後の自身のソロアルバムを佐久間さんにプロデュースしてもらっています。何か思うところがあったんでしょうかね。そしてこの曲の余韻たっぷりの終わり方は、曲の終わりであることと同時に、アルバムの終わりも暗示しているように思え、あらためてアルバムの曲順の重みを再確認するのでした。

 それでは皆さん、第5弾に続きます。ありがとうございました。

 

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